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『お伽草紙』(おとぎぞうし)は、太宰治の短編小説集。「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」の4編を収める。 1945年(昭和20年)10月25日、筑摩書房より刊行された。初版発行部数は7,500部、定価は3円30銭だった〔『太宰治全集 8』筑摩書房、1998年11月24日、450頁。解題(関井光男)より。〕。 == 執筆の時期・背景 == 「前書き」や「瘤取り」の冒頭部分において、著者が防空壕で原稿を書いていることが描かれているが、実際に本書は各地で罹災しながら書き続けられ、同時に出版の作業も進められた。 1945年3月5日頃、太宰は「竹青」〔「竹青」は1945年4月1日発行の『文藝』に掲載された短編小説。中国の清代に書かれた短編小説集『聊斎志異』をもとにして書かれた小説である。〕を脱稿。3月 6、7日頃から三鷹で「前書き」と「瘤取り」の執筆にかかる〔『太宰治全集 第7巻』筑摩書房、1990年6月27日、453-455頁。解題(山内祥史)より。〕。同年3月10日、東京市の市街地は大空襲を受ける(東京大空襲)。下谷区で罹災した小山清は三鷹の太宰の自宅に移る。「真赤に燃える東の空を望み見」〔『太宰治全集 第十一巻』創藝社、1953年12月15日。津島美知子「後記」より。〕た太宰は妻子を甲府市の石原家(妻・美知子の実家)に疎開させることを決意し3月末に実行に移す。 4月2日未明、三鷹も空襲を受け、太宰も甲府に移住。「瘤取り」は5月7日頃までに脱稿。翌日、「浦島さん」の執筆開始〔。5月末か6月初め頃、「カチカチ山」の執筆開始。6月中旬から6月末にかけて「舌切雀」が書かれる〔。脱稿直後の7月7日未明、甲府市は焼夷弾攻撃を受け、石原家も全焼の憂き目に遭う。太宰は逃げ出す際、長女を背負いながら原稿を持ち出したという〔。戦火を免れた本書の原稿は、見舞いに駆けつけた小山清に託される。7月13日、原稿は小山によって無事筑摩書房に届けられる〔山内祥史 『太宰治の年譜』大修館書店、2012年12月20日、284頁。〕。焼け出された太宰一家は7月28日早朝、甲府を出発し、東京の上野経由で津軽に向かう〔太宰治「十五年間」(『文化展望』1946年4月号)より。〕。そして敗戦から2か月後の10月25日、『お伽草紙』は出版された。この初版本は長野県上伊那郡伊那町で印刷された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「お伽草紙 (太宰治)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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